2019/02/25 20:30



アンティーク/手紙/本/写真/手帳/ふるさと/使用済みの切手…

私が大好きなものたち。

一見共通点などないように見えますが、よく考えてみると

すべてにある一つのことが当てはまっていました。


これらはすべて、「記憶を宿すもの」でした。



今日は2月25日。私の大好きだった伯父の誕生日です。


父方の伯父は読書が大好きな、誰からも好かれる、いつも笑顔で紳士的な人でした。


私は生まれてから10歳で母の実家に引っ越すまで、伯父の家で父・母・伯父・私の4人で暮らしていました。

母の実家のある町の隣町にあったその家には大きな本棚があり、

伯父が大好きだった小説やエッセイ、ビジネス書、暮らしの本から絵本まで、

ありとあらゆる本が並び、小さな私にとっては図書館のように感じました。

そこから自分の好きな本を取り出して伯父と読み、

感想を話し合うのが日課になっていました。

私の読書好きなところは、確実に伯父から引き継いだものだと思います。


6年前に父が突然亡くなり、悲しみから抜け出せずにいた時も

伯父は優しく見守ってくれ、時には楽しい話をしながら笑わせてくれました。


こどものいなかった伯父にとって私は、実の娘のような存在だったのだと思います。

私もいつもかわいがってくれる伯父を、第二の父親だと感じていました。

父が亡くなってしまった当時、「私が結婚するときは伯父と一緒にバージンロードを歩くのかなぁ」

なんてことも考えたりしていました。



しかしその伯父は、5年前の私の誕生日に突然、

私たちの思い出の詰まった家ごと、炎に包まれてこの世を去りました。


今も思い出される、なつかしくていとおしい風景。

背の高い本棚、大きなダイニングテーブル、お気に入りだったリクライニングチェア、

壁にかかった年代物の振り子時計、台所から聞こえる「ごはんよ!」という母の声、

かけまわる愛犬とそれを見守る父の姿、伯父のやさしい目じりのしわ。


けれど容赦のない炎は、伯父はおろか、思い出の品でさえ一つも残してはくれませんでした。



優しくて穏やかだった伯父に似合わない劇的な死を目の当たりにし

なかなか気持ちが切り替えられずにいたある日、

自分の部屋で、小さいころ伯父にもらった手紙を見つけました。

そこに書かれていた懐かしい文字や伯父らしい語り口調を見て、

一気に懐かしい思い出がよみがえり

涙がとめどもなくあふれてきました。


「手紙って二度届くものなのだな」と、私は思いました。


ポストに着いた時は伯父の「気持ち」を、

そして時を経た後には伯父の「記憶」をのせて、手紙は私のもとに”届き”ました。

ものも人も、その「記憶」さえきちんと大切にしていけば、

完全にいなくなってしまうことはなくて、そしてその「記憶」を宿してくれるものがあるという

ただそれだけのことが、どれだけ心を癒すかということを、

私は痛いほど噛みしめました。



当たり前だと思っていた日常が突如失われ、絶望の淵に立った時、

伯父の手紙のように「記憶を宿すもの」がそばにあってくれたなら。

それは「誰か」のかけらとして、人の心に、あるいは人と一緒に生き続けてくれるのだと思います。

新卒で手紙や日記を扱うステーショナリーブランドで働くことになったのも、

そういうことを潜在的にわかっていたからかもしれない、

そしてそれはとても幸福で恵まれたことだったのだと、今は思います。



「文化とは、人間のより良い暮らし、行きたいという欲求から生まれるもの」。

伯父の本の中で読んだこのフレーズが印象的でした。

文化は人々の日常、そしてその日常を豊かにしたいという気持ちから生まれるもの。

だとしたら大きく言えば、「人の記憶を宿すもの」は文化を生み出す大きな一助なのかもしれません。


人の日常に寄り添い、「記憶」を伝え・つなぎ、ひいては文化へと続いていく。

…というと壮大な感じがしますが、そういう素敵な営みの一部に

ほんの少しでも貢献ができたなら。



そんな思いも持ちながら、これからもお店を作っていきたいです。









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